play

運動するという語も、遊ぶという動詞も、そして演奏するという行為も英語ではplayと表す。
昔は、なんか変やな、と思っていたけれど、
最近になってその共通項の感じに、深く感じることがある。

どの行為にもlive感と、そしてその行為の最中には意思を選択出来る自由が必要だ。
 
人間の根本にあるjoy、喜びと結び付いていなければ、playとはならない。

私よりもずーっと生真面目であろう生徒さんが、
まるで苦い薬を飲むように、嫌いな野菜を食べなきゃいけないように、
エチュード(練習曲)とみなされる課題を弾いてくることがある。

哀れなパガニーニ。
憐れなバッハよ。


というより、
苦痛を感じながら弾いてる生徒さんもとても可哀想で、
聞いてる私も可哀想。

適当やって、テキトー!
って、何とかその楽しみ感を伝えようとするけれども、
適当というのは、手を抜くのとは同義語ではない。

真剣に遊ぶ、というのが一番面白い。