stance

こんな事を書いても、誰にも(ほかのヴァイオリニストにも)分かってもらえないし、共感してもらえないと思うけれど、

誰にも話せないからこそここに書きます!


以前までなら聞き流していただろう、先を歩いている人のふとした言葉の中に、参考にすべき重要なヒントが隠れていることがあります。

私自身はあまり、毎日華々しく活躍しているわけではないけれど、たまに世界でも特別級の音楽家と同じステージに立つ機会がある時に、なるほど!と発見する事がある。


以前、水戸か松本でかは忘れましたが、小澤征爾さんが練習第1日目の音出しで、突然笑い出されたことがあって、
「ごめん、ごめん。自分の想像の中では、オーケストラが音程を外したという想定はなかった、、」と仰いました。

その時も、なるほど、と思ったけれど、

私たち楽器を弾く人間も音楽家だけど、
やはり指揮者というのは特別な音楽職で、
自らの身体で実際に音を出すのではなく、
自分の頭や心の中でのイマジネーションやインスピレーションに従って、音を操る役割だ。

拍を揃えるだけがその仕事では無い。


小澤さんはこの間、桐朋学園の部屋で練習した時も
「なぜ音楽学校なのに、こんなにデッドな(響きが良くない)部屋をオーケストラの練習する場所の設計にするかね、、」
みたいな事を仰ってて、


プレイヤーの立場から考えると、
実際本番のホールが響きが良いところばかり、とは限らないのだから、練習の時は最悪な、というか、自分の欠点がよく聞こえる場所で練習しておいて、本番は(練習所よりは響きが良いのだから)安心して伸び伸びと弾く方が好ましい、と考えていたけれど(実際、私の練習部屋はデッドな響き設定)も、

ああ、そういうのは要らない考え、アイデアなんだ、と思った。


アンネ・ゾフィー・ムターさんや、アルゲリッチさんや、ナカリャコフさんなど、
ご自身で楽器を演奏するけれども、素晴らしい特別級の音楽家も、同じく、もう楽器を弾くということ自体の、身体的心配はどこにも残っていない。

勿論、無茶苦茶良い楽器を使ってはるので、響かないかも、という心配もない。
それはストラディヴァリウスを借りていた時も、楽器から教えてもらった大切な感覚だ。

ただ、自分のイマジネーション、インスピレーションをその場で現実化することだけに集中するのだ。


出来なかったらどうしよう、とか、
悪かったらどうしよう、、
という不安だとか心配のイメージもその実現には重く、足を引っ張るものでしかない。
 


ムターさんに感化されて、
楽器に着けていたすべり止めの皮、一枚を外すところから、顎当ての高さ、形。体調にまで色々変調があるフォーム改革ですが、
たかがスウェード皮一枚の話に留まらなくて、
 
自分は今まで、メーターを見ながらスピードレースに出ようとしてたんだな、という自分の無駄な設定に気付けたと思います。
(↑とか言って、あれも勘違いでした、とか数年後には笑ってるかもしれないけれど。)
 

インスピレーションやイマジネーションを実現するのに、基点は一つであるべき。

基点を複数作ると、切り替える間がdeadになる。

今までは他の立場に立ってみたら、とか、中途半端な思い遣り?の無駄を入れて設定していた。


これは、、
人間関係にも言えるのかもしれない。

手に負えないこと、気が進まないことを我慢して耐える必要はない。
(これまでも、最終的にはそういう結論だったかもしれないけれど)

大切なのは罪悪感に傾く思い遣りではない。


自分に本当にできることをさせて頂こう。
要熟考案件であります!!