individuality

倉吉未来中心小ホール
倉吉未来中心小ホール

昨日の夜中に鳥取・倉吉から帰ってきました。

わたしは弾いて終わりだけれど、その演奏をずっとヘッドフォンでチェックして記録するマネージャー兼ディレクターさんと、トーンマイスター(技術さん)さんは、機材撤収のあと、長距離の運転もあったので、かなり大変だったと思います。

お疲れさま&感謝です。

 

 

普段、簡易の録音機材でリハーサルを撮って、ちょこっとサウンドチェックをすることはあっても、

じぶんの演奏を真正面から、他人から聴いたらどう聴こえるか、という立場になってみたりして、聴くことは珍しいので、かなり発見があった2日間でした。

 

 

うちって相当いがんでる。。

 

 

俗にいう

「正確な」テンポ、リズム、音程(Hz)を外側から「美しく」整えるよりも

中側、内側から音楽を覗いて、感じて、歩いているので

自分の感じ方で道がくねくねしてる。

画家の、例えばゴッホの風景画がぐねってゆがんでいるように。でも彼の眼には、世界がそう見えていた、らしい。まさにそう。

 

楽器の倍音が鳴っていて、そこは生理的に身体が感じるから、と引き伸ばしたりするところもある。この色がここに変わるのがいいんじゃん、っていう時もある。

なにかしらの理由があって、なんだけれど

 

相当うち、自己本位で生きている。

 

って、衝撃。(笑えない)

 

 

 

人は自分本位にしか生きられないものだ、とは割り切ってはいるけれど。

 

こう見えるんだから、こうしか出来ないんだから、仕方ないじゃん、、、とか

じぶんのなかで、昨夜からぶつぶつ葛藤に入ってます。

 

 

 

現代は録音技術も進み、貼ったり切ったり、つなげたり、差し替えたり、っていうことが簡単に出来るみたいだけれども、

わたしは昔のLP録音とか、ああいう音源が、音楽が好きなので

出来るだけ手を加えずに使えるように

なかなかにロングショットばかりを撮ってもらいました。

 

 

体力にも集中力にも、限界っていうのはあるけれども

録音は不可抗力(観客という聴き手のエネルギーももらえない分、それによるちょっとした雑音などのアクシデント)も無い代わりに

自分との闘いが全て。

 

最後、シャコンヌを弾いた時は、そのドツボにハマりかけたけれど

ディレクターからの『お客がいると思ってコンサートみたいに弾いて』という単純なアドヴァイスで、

問題が消えました。ニッコリ。

 

今回はこれがわたしの限界だと思う。

 

 

 

兎に角。

終わった〜〜〜

 

長い宿題が、とりあえず終わりました。